2011年 04月 27日
聖徳太子創建、いけばな発祥の地 六角堂に行ってきました |
日曜日に行ってきた六角堂です。

(以下六角堂webより)
「聖徳太子創建の寺」
聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると
中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。
そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。そのころ太子は物部守屋と争って
いたので、如意輪観音に勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立
いたします」と誓いを立てました。
勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立の
ための用材を求めてこの地に来られました。
「いけばな発祥の地」
六角堂の北面に、太子が沐浴されたと伝えられる池跡がありますが、この池のほとりに
小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として
知られるようになり、いけばながひろがりました。
「ご注意」
鳩がものすごく多いです!
鳩フンにはくれぐれもご注意を


(以下六角堂webより)
「聖徳太子創建の寺」
聖徳太子が幼い頃、淡路島の岩屋に小さな唐櫃が流れ着き、太子が蓋を開けると
中から黄金でできた一寸八分の如意輪観音の像が出てきました。
そこで太子は、自分の持仏として大切にしました。そのころ太子は物部守屋と争って
いたので、如意輪観音に勝利を祈り、「勝たせていただければ、四天王寺を建立
いたします」と誓いを立てました。
勝利をおさめた太子は、用明天皇2年(587年)、大阪四天王寺建立の
ための用材を求めてこの地に来られました。
「いけばな発祥の地」
六角堂の北面に、太子が沐浴されたと伝えられる池跡がありますが、この池のほとりに
小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。
池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として
知られるようになり、いけばながひろがりました。
「ご注意」
鳩がものすごく多いです!
鳩フンにはくれぐれもご注意を

by machiya_saigu
| 2011-04-27 11:06
| ご近所